コラム


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驚いた?驚かされた?

私が中学生の頃、英語の勉強で感動したことがあります。「日本人は驚いたとか興味をもつと表現するが、アメリカ人は驚かされた』『興味をもたされると受け身で表現する」ということです。
「この考え方は衝撃的で、単なる言葉の表現ですが、英語の正しさを強く感じたものです。

▼当時の先生は「何もないのに驚く人はいない、驚く原因はその事柄にある」と分かり易く説明してくれました。この受け身の表現に感動してからは、大人になるまで受け身の考え方は正しいと思っていました。

▼しかし私が成人した頃、日本人の驚いたという表現の方が正しいと思うようになりました。

同じ出来事があっても、驚く人もいれば驚かない人もいます。興味を持つものもあれば、持たないものもあります。すべてはその人の受け止め方によって決まるものなのです。

何があなたを怒らせたの?  What made you angry?という文も、日本語の何を怒ってるのの方が適切だと思います。

人間が自由にコントロールできる唯一のものは自分の心。常に能動態の心で人生を歩み続けたいものです。


チャンスの女神

▼昔、こんな話を聞いたことがある。

『チャンスの女神は前髪でつかめ!』と。チャンスの女神が向こうから前髪を垂らしてやって来る。顔がよく見えないのでチャンスかどうか分かりにくい。捕まえようかどうしようかと迷っているうちにすれちがう。その一瞬、横から顔がチラッと見え、チャンスの女神だと気が付く。でも時すでに遅く、あれだと思って手を伸ばしてもチャンスの女神には後ろ髪がなく捕まえられない。

▼私が20才そこそこの頃、この話を聞いて、チャンスかなと思ったら勇気を出してやってみることが大切なんだと思った。でも今は、私はこう思う。チャンスは向こうからやって来るものではなく、すでに自分の中に存在するものなのだ。そして、『チャンスが来る』ということと『積極的心構えを持つこと』とは同じことなんだと。

▼仕事でも何でも、問題が起こった時『困ったな』と思えばそれまで。『これは自分が上司か認められるチャンスだ』『自分が成長するチャンスだ』と受け止めれば本当にチャンスになる。自分は運が悪いと思う人は、困難をチャンスとして受け止めなかったために、何もしなかっただけなのですね。


一日の始まり

▼毎日、朝目が覚めたら、こんな風に思えたらどうでしょう。

▼さあ、新しい一日の始まりです。自然はこの素晴らしい一日を私に与えてくれました。

しかし、この一日を本当に素晴らしいものにするかどうかは私次第です。

▼私の命は時間の上にしかありません。命は見ることも触ることも置いておくこともできません。今日という一日は、私の命の一日と引き換えに自然から与えられたものです。今日一日をどう使うかの連続が、私の命をどう使うかにほかありません。

▼若い頃は命はいつまでも続くものだと私たちは錯覚していました。早く時間が過ぎればいいのにと、じっと時計を見ることもありました。自分の命の時間が過ぎていっているとも気づかずに。

▼今日という一日を素晴らしいものにして、夜眠る時に、素晴らしい人生の一日だったと悔いなく目を閉じることができたらどんなにいいでしょう。

▼かく言う私もなかなか出来ずに反省しきりですが。

2016年8月23日


『自分の持ち物に名前を書く』それは『優しさです』

▼普通は自分のものを失ったり、忘れ物をした時に自分の所に戻ってくることを期待して名前を書くかもしれません。

▼でも私はそれよりももっと大切なことを意識して名前を書いて欲しいと思います。

それは『他人への優しさ』です。

▼それを拾った人への優しさです。

▼拾った人の立場に立って考えて欲しいのです。もし自分が持ち主の名前が書いていない物を拾ったらどうするでしょうか。

▼どうしようかと悩んだり、それがおそらく本人にとって大切な物だろうと予測できる物であればなおさら困ります。

▼持ち主と予想出る何人かに連絡を取ってみたりするかもしれません。

▼名前さえあれば、知っている人ならすぐに連絡をしてあげられるし、そうでなくても悩み困ることはありません。

▼自分の事だけではなく、いつも周りに気配りをできることも大切ですね。

気配りで疲れても困るし、名前を書いてそれを悪用する人に使われても困ります。

▼しかし、知らない人にも自然に優しさを気配りできる人って良いなと思います。


注意する

親が子どもを注意します。

①『人に迷惑でしょ』

②『だからダメなのよ』

③『いつも言ってるでしょ』

よく使う言葉ですが、時折その言葉の陰に隠れているメッセージまで考えてみたいものです。

①はよく使われる言葉ですね。

『注意』は《注意する人》が《注意される人》を大切に思うあまりに飛び出す言葉です。それがいつの間にか《迷惑を受ける別の人》を大切に思っているような言葉になってはいないでしょうか。

実は『思いやりのある人間になってね』と言いたいはずなのに。

②は、あなたはダメな人間でその行為はそれを証明しているのよと、見事な否定です。

『こうすれば良くなるよ』と言いたいはずなのに。

③は、『私はちゃんと注意してるんだけどこの子が聞かないんです』と。親としての責任を他の人から攻められないように責任逃れをしているのではないでしょうか。

『ちゃんと言ったことを守れる子になってね』と言いたいはずなのに

相手を大切に思うから注意するのです。

しかし、出る言葉はそのことを忘れています。

それこそ、そのことに注意したいものですね。


『感謝』

▼昔、ある宗教を信心している人が言っていたことがあります。

『信心すれば道ばたの石ころでも自分の進む正しい道を教えてくれる』と。

▼その時は言っている意味は全く分からなかったのですが、今は分かるような気がします。ちょっとそれとは違うかもしれませんが、色んなことが自分を幸せにしてくれます。

▼先日、テニスをした後、コート整備をしてコートを去ろうとした時、ベンチの下にゴミが落ちているのに気づきました。私たちのゴミではなく前に使った人のゴミです。そのまま去ろうとした時にゴミがささやくのです。『そんな自分を好きになれるの?』って。

▼些細なことだけどゴミに感謝です。というのは、ゴミの存在が、そのゴミを自分が持ち帰るというちょっとしたいい行動をさせてくれたし、そのことで自分って素敵だなと、自分で自分を好きになれるし・・・。

▼ゴミにも感謝、どんなことも自分を素敵にする材料になるんですね。